節分になると、鬼の面と豆、そして恵方巻がスーパーやコンビニで売られ始めますよね。節分の豆まきの歴史を見ていくと、平安時代のころにはすでにあったという話もあることと、私たちが子供の頃にもちゃんと豆まきをしました。

でも、恵方巻の名前はここ最近取り上げられるようになりました。ここでは、恵方巻の由来として、単に海苔巻きだった恵方巻の名前などについて調べました。

恵方巻の由来!関西の海苔巻きが恵方巻に?恵方巻の名づけ親がいる?

そもそも、恵方巻は、関西の海苔巻きが由来になっています。

でも、恵方巻という言葉は意外なところが名付け親になったようです。

恵方巻の始まり

恵方巻は、つい最近定着してきたものではありますが、実は、江戸時代の終わりから明治に入って、節分の日に「恵方巻」という巻いた寿司を食べてはいたとはされているようです。ただ、実際に行事として食べられていたという資料が残されていないんですね。

大正の頃には、節分に恵方巻と呼ばれる巻寿司は食べていたという記録があっても、その記録は、宣伝関係の資料であったことから判断ができかねるようです。

ただ、節分の恵方巻が広がったのは「商業的な要素」があるのは確かなようなので、行事として「恵方巻を食べられていた」とするのがむずかしいようです。

大阪の巻き寿司が恵方巻に?

先ほど紹介した恵方巻の「資料」として残っているのが「1932年(昭和7年)」の「寿司屋」の宣伝チラシのようです。大阪の遊女の間では「恵方の方角を向いて、無言で一本の巻き寿司を食べると幸せになる」という話が流行したようなんです。

ここで、あれ?と思っちゃいますよね。なぜ、そんな話が出たのか見てみると、恵方の方角は「歳徳神(としとくじん)という神様がいる場所を指します。この神様が「女性」らしいんです。

歳徳神様は、「その年の幸せや金運を管理する」神様として知られていて、歳徳神の方向を向いて、事を行うことで、幸せや金運にあずかれるとされていました。これは、節分に限らず、初詣も同じなんです。

初詣も歳徳神のいる方向の神社に行くのが本来の参拝方法です。この神様が女性とうことと金運もあったから遊女の間で流行したのかもしれませんよね。

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恵方巻の名付け親は?

そんな大阪から始まった節分の海苔巻きですが、1975年(昭和50年)ごろに巻き寿司が関東に進出して広まっていきました。ここでも商業的な要素があって、日本の海苔の生産が増えてくることから、東京の海苔問屋がここで売り上げを伸ばそうとして、関西の節分の巻き寿司を提案したとか。

ところが、そう簡単にはいかずに全く売れなかったようです。そんな恵方巻を関東でも食べられるようになったのが1989年の平成元旦。コンビニの「セブンイレブン」で「節分の巻き寿司」や「幸運の巻寿司」という名前で売り出したようです。

それから1998年平成10年に同じくセブンイレブンが「恵方巻」という名前で売り出したことから、節分は「恵方巻」となっていったようです。もともと「恵方巻」という言葉は、資料や記録には残っていないので、恵方巻の名付け親は「セブンイレブン」になるわけです。

恵方巻き 由来 関西 海苔

関東と関西の巻き寿司の太さ

関西の巻き寿司は、たっぷりとたくさんの具が入っているので「太巻き」になりました。ところが、関東の巻き寿司になると、具材は一つだけといたってシンプルだったために「細巻」だったんです。

それも理由にあったのか、関東ではそれほど行事としての「恵方巻」は広がることもなく、今のように特別売れるようなこともなったようです。それが、関西のように海苔巻きにさまざまな具にを入れる「太巻き」が当たり前になったころから、少しずつ広がっていったようです。

まとめ

以上です。もともと関東での「恵方巻」は細巻きだったわけなので、別に節分に食べなくてもいつでも食べられるものです。だから節分=恵方巻とはいかなかったのかもしれませんよね。恵方巻は「七福神」にちなんで「七種類の具材」が入るといいますから、そっちのほうがより豪華で、目立って、縁起物という感じは確かにしますね。

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