今回は、節分の本当の意味と題して、節分のことを詳しく紹介していこうと思います。子供の頃に、家や幼稚園などで、大人が鬼の面をかぶってくれて、その鬼にめがけて豆を投げて、「無病息災」で過ごせるようにといった行事です。

子供の頃は、節分については深く考えることはありませんでしたが、ここでは、そんな節分を掘り下げて調べました。参考にしてください。

節分本当の意味!鬼は外、福は内の奥にある大切な真実

節分は季節の分かれ目を指していて立春・立夏・立秋・立冬のことで、それぞれの前日が節分と呼ばれています。

さて、私たちのよく知っている「鬼は外、福は内」はイエス大師の教えを、なんと日本らしくアレンジしたものだということなんです。もともと「宇宙心理」が由来となっていといわれています。

「鬼は外」の鬼が意味するもの

最初は鬼からいきましょう。「鬼」は、海外では「サタン」と表現されることが多いようです。実は「鬼=サタン」は「誘惑」のことを指すものなんです。昔、イエス・キリストが「サタンよ!退け!」と言われたとか。

このときの「サタン」は「悪魔」を指すのではなく「誘惑」、すなわち「私利私欲」のことを指し示す言葉だったようです。世俗的な誘惑に惑わされて溺れて人生の目的を見失っていく民衆に、目を覚ましなさいというメッセージの意味で説かれたといいます。

すなわち、節分の「鬼は外」との意味は「外に意識を向けてしまえば鬼に出くわしますよ」という意味になります。もっとわかりやすくいうと、日常生活ばかりを良くしようと考えて生きて行けば、寿命が来て後悔することになる、と警告する意味であったわけです。

人がこの世に生まれてきた目的は、内なる完成ためであって、単に自分が楽しく生活するためではないというメッセージでもあるようです。そして、「鬼は外」と言いながら「家の外」に豆をまく、この「家」は、例えでよく使われる言葉ですが、節分のときの「家」は、肉体のこと指すようです。

節分 本当 意味

「福は内」の福の意味するもの

次に、「福は内」の「福」ですが、この福は「永遠の生命・至福」のことを指すようです。「神が我が内にあり」という言葉があるように、「内に意識」を向けて、心を磨きピュアな状態を取り戻したら、そこには「永遠の生命・至福」がありますよというメッセージになるようです。

ただし、ここで登場する「神」は、神社などやお寺などに祀られている宗教的な対象として神様ではなくて、そもそもそこには拝める対象の神はいないという捉え方のようです。

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ここでいう神様は、そういった対象の神ではなく、本当の神は「生命(いのち)」のことを指すようです。「神は手よりも足よりも近くにおる」という言葉もあるとか。だから「福は内」、神は我が内「命」にある。命が本当の自分だと「実感」できたときに、福来りということのようです。

 鬼は外、福は内の奥にある大切な意味

前章で紹介したように、私たちが聞いてきた節分の「鬼は外、福は内」の意味合いとはかなり異なる感じですよね。私たちが聞いてきたのは「縁起物」の行事のような捉え方です。

でも、「鬼は外」と「福は内」の入ったこの言葉の意味を見ていくと、人の心や生き方の道しるべを指すような意味になります。それも、もっと人の心の奥底のエゴなどを指摘している意味になっているところも興味深いです。

節分 本当 意味

人は、欲望や野心を持たずに生きていくことはなかなかむずかしいんではないでしょうか。欲望や野心があるからこそ、その先の道も楽しかったり苦しかったり辛かったりしますよね。

でも、それを責めているわけではなく、常に何かや誰かに感謝をする心を持つという意味になのかもしれません。要するに、外の内のバランスを上手にとることが大切ということになるようです。

まとめ

いかがでしたか。節分の本当の意味と題して、ちょっと他とは違った側面から紹介してみました。参考にしていただけたら幸いです。この意味についてはあくまで参考ですよね。お子さんに話すにはなかなかむずかしいかもしれません。お子さんに話す時には、「鬼」は、「外にもいて気持ちの中にもあって、そういう鬼の気持ちに惑わされないように」という話の流れでいいんじゃないでしょうか。

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