春分の日とお彼岸には、お墓におはぎやぼたもちを供えたり、自分たちも食べたりしますよね。なぜ、この日におはぎやぼたもちを食べるのか、今回は、その理由について紹介していきます。

また、「おはぎ」と「ぼたもち」の名称は違いますが、何か違いがあるのかも気になりますよね。

春分の日・お彼岸におはぎやぼたもちを食べる理由は?

春分の日とお彼岸におはぎやぼたもちを供えますが、これは、お彼岸でも春と秋で言い方が違うようです。

ただ、地域によっては、おはぎそのものをすべて「ぼたもち」という地域もあるようです。

お彼岸とは

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一年の中でお彼岸は「2回」あります。春のお彼岸と秋のお彼岸です。春のお彼岸は「春分の日を中心にして前後3日間とされているので、合計で7日間になります。一方、秋のお彼岸は、秋分の日の祝日を中心として、前後3日の合計7日間になっています。

お彼岸は、いつからいつまでと毎年決まっているわけではなく、「春分の日」と「秋分の日」をはさんでいつからいつまでとなります。お彼岸がこの二つの祝日を挟んだ期間になったのには理由があります。

春分の日も秋分の日も、「太陽」が真東から昇っていき、真西へと沈む日になります。仏教では、この太陽が昇って沈む一連の流れが「故人」の人への想いが一番通じやすいと考えられています。それは、仏教では、太陽が昇る「東」は、「私たちがいる世界」と捉えます。

そして、太陽が沈む「西」は、あの世という考えなんです。「あの世」は、「故人がいる世界」を表します。そのために、秋分の日と秋分の日は、お墓参りをしたり仏壇に花をたむけたりと「お彼岸」としてお参りするわけなんです。

彼岸花

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お彼岸で聞く花が「彼岸花」ですよね。彼岸花は、秋のお彼岸の時期に咲いている花で、花が咲く時期も、ちょうどお彼岸の7日間に似ていることから、「彼岸花」と名付けられたそうです。実は、この彼岸花の根っこの部分には「毒」があります。

面白いのは、彼岸花の咲く場所です。彼岸花の咲く場所は、田んぼだったりあぜ道だったり墓地の周囲に多いんです。これはあえてそこに植えたようですが、田んぼのあぜ道に植えた意味は、彼岸花の毒で、ネズミやモグラなどの動物が田んぼを荒すことをないようにするためです。

そして、墓地の周りに彼岸花が多いのは、現在は火葬が当たり前ですが、昔は土葬をしていたこともあって、虫や動物に掘り起こさせないようにと彼岸花を植えたそうです。

お彼岸のおはぎとぼたもちの違い

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まず、おはぎとぼたもちの違いですが、春のお彼岸で供えたり食べるのが「ぼたもち」秋のお彼岸で食べたり備えるのは「おはぎ」になっています。ただし、地域によっては一貫しておはぎといったり、ぼたもちと呼ぶこともあります。

このおはぎとぼたもちの歴史は、江戸時代の頃からになります。おはぎのあんこの材料は「大豆」ですよね。もともとは小豆は漢方薬として中国で使われ、その後日本に入ってきて、日本人は、大豆を健康食材として食べていました。

小豆は収穫が9月から11月で、秋の彼岸には採りたての小豆を使っておはぎに。ところが、春のお彼岸は収穫時期ではないので、そこまで保存していると皮が固くなるので、皮をとってこしあんにしたそうです。

お彼岸で食べるようになったのは、昔は砂糖がとても貴重だったので、お彼岸でお供えするおはぎは、普段は口にできない贅沢なものだったんです。そのため、贅沢で貴重なおはぎは、大事な行事や大切な人へふるまうものとされていて、お彼岸に大切な先祖様の供養で供えるようになったそうです。

また、小豆には、魔除けとしての意味があったようで、邪気払いの願いや祈りを込めて供えていたようです。

まとめ

いかがでしたか。今までお彼岸は、おはぎやぼたもちを普通に食べていました、ちゃんとした昔からの風習があったからこそだったんですね。ずっとぼたもちという名前で親しんてきた人が、他の地域に行ったときに、初めて「おはぎ」という言葉を知ったというぐらい、地域によって呼び名はいろいろのようです。それでも、お彼岸の行事は一緒ですよね。

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