花火大会といえば、夏のメインイベントになりますよね。そもそも日本で花火を初めて使用されたのは、いつ、どこで、何のために行ったのかは定かではないようです。
ただ、江戸時代になってから「戦」がなくなると、花火を専門に扱う「火薬屋」があったといいますから、花火としての歴史は古いですよね。さて、そんな花火大会が夏のメインになった理由って何だったんでしょうか。
目次
花火大会が夏のメインになった理由って?
私たちが、「花火大会はなんで夏?」と考えたときには、単に夏だからとしか答えられませんよね。
だって、やっぱり花火大会は夏のものです。でも、それはまったくの的外れでもないかもしれません。これには「お盆」の夏が関わっているようです。
花火は、お盆のある夏だからこそあげるもの
私たちが当たり前のように夏の風物詩として見てきた花火は、もともとお盆の時期に合わせて打ち上げるものだったようです。これは、「天に召された魂の鎮魂」の意味があるようです。確かに、お盆の時期に花火を上げる地域は多いですよね。
お盆での行事には、各地さまざまな行事が行われることでも知られます。迎え火や送り火を提灯に灯して練り歩いたり、帰ってきているご先祖様に供える踊りや歌舞伎などの演舞を行う地域もあります。
「精霊流しも」この時期ならではの行事です。実は、花火大会も、これらのお盆の行事の一つとして考えられて始められたもののようです。それがいつしか、夏の風物詩として鑑賞のための花火大会へと移行していきました。
花火はご先祖様の送り火の一つ?
お盆の時期は、新暦と旧暦に分かれるものの、7月か8月の13日から15日まで、もしくは16日までお盆とされることが一般的です。お盆は、年に一度ご先祖様が家に帰ってくる日として、各家庭でお迎えの準備をします。
まず、ご先祖様をお迎えする「迎え火」を焚いて、ご先祖様が自分の家がすぐにわかるようにと灯します。そして、15日もしくは16日にご先祖様がお帰りになる日として「送り火」を焚きます。これらに使われるものは、毎年夏にスーパーなどで一式売られていますよね。
この送り火が、花火に送り火の一つという捉え方をしています。京都の大文字焼きのイベントがその「送り火」の一つです。ちなみに送り火をする日は、15日の夜にする地域もあれば、16日する地域もあります。
現在でもお盆の行事として開催される「熊野大花火大会」
夏に花火をあげることがお盆の行事の一つとなっていたことがよくわかるのが、毎年8月16日に開催される三重県熊野市の「熊野大花火大会」です。ここの花火大会は、まさしく先祖ご供養のために花火を打ち上げています歴史も古く250年から300年前に始まった、ここの地域の伝統的な花火大会になります。
花火大会の始まり
日本で花火を初めて目にしたのが伊達政宗だった、もしくは、徳川家康だったといういろんな説がありますが、将軍家をはじめとした諸大名の間で花火が流行したそうなんです。その後、江戸の町民へ広がっていったんですね。
花火が流行していくとそれに伴い、花火の打ち上げなりわいにする「花火師」も登場しはじめてどんどん花火が定着していきました。花火を上げるときに「かぎやー」「たまやー」という声があがるのは有名ですよね。この二つはどちらも花火師の名前だったそうです。
江戸から各地に花火が広がっていった。
前章で紹介した「かぎやー」=「鍵屋」は、江戸幕府ご用達の花火商として発展しましたが、8代目で清七という有能な番頭さんに「のれん分け」を許されて「玉屋」になったそうです。
この二つの花火商は、隅田川花火大会の前身、両国花火大会で競演することで、かなり盛大な花火大会になったようです。ところが、玉屋は、不慮の火を出ししまい、30年足らずで廃業に追い込まれます。鍵屋は戦前までは続いていたようです。
そうこうしているうちに、江戸以外の町にも花火が広まっていき、それが日本各地の花火へとつながっていきました。当時は、先祖供養やお祭りの意味合いで打ち上げられていたそうです。でも、今もやっぱりお盆の行事としてあげられることになるんじゃないでしょうか。
まとめ
以上です。花火大会が夏のメインになった理由って?と題して紹介しました。花火大会は、華やかなものであるものの、夏に花火大会が多い理由は、何となく皆さんわかってはいたんではないでしょうか。お盆は、私たち日本人には大切な行事です。その行事の一つが花火大会なら、毎年賑やかに楽しむのが本当ですよね!
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